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2009年12月31日

甘やかな記憶がよみがえる・・・大掃除・・・

此の世に何が起ころうと、自分の暮らしは自分流で何とかすると、年末年始の挨拶とか年賀状とは省略して今まで生きてきたおトしゃんなのですが・・やはりヒトの世の理りには勝てないようです・・

例年の様に大掃除とまでは云わなくても、せめてお家の隅々のゴミ等位は取り除こうと掃除機雑巾洗剤等を持って情けなそうにウロウロ動いてました・・・

ベッドに伏して安静にしているお母さんは、おトしゃんがお掃除している気配を感じるだけで心が落ち着くようです。 「 主婦ができた 」 頃は家中が整理整頓お掃除済になってましたからねぇ・・・。


アチコチに散らかっているモノを片付ける過程で、わたし関連のモノが出てきます♪
沢山頂いたお手紙、花束に付いていたプレート、宅急便のラベル、わたしへのプレゼントが入っていたお箱、わたしの目薬・・・etc
あまり実用的でなかった様なあの意味不明のありがたいお獅子帽子なんかも思い出に埋もれてました・・・

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(2007年11月)


何時かは整理しなければならないモノと記憶なのですが、優柔不断なおトしゃんは決断出来ず、「 年内に片付けなければならないような切羽詰った問題でもないだろう・・ 」 と判断し、結局 「 チョコの思い出箱 」 と云うのを作ってその中に放り込んでました・・

年末の大掃除で毎回難儀するのは毎日毎日わたし達のご飯仕度をしていた台所のお掃除です・・・
鍋やお茶碗のシミにまで、わたし達が暮らした記憶がくっついてます・・・

大晦日にもゴシゴシと悔しそうに食器類を洗っていたおとしゃんに、 『 わたしのご飯は・・まだですかぁ 』 ・・と、催促したりしたものでした・・・

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(2007年12月)


おトしゃんはわたしの気配をかんじるのでしょうか・・・・

わたしはもう居ないのに大晦日の今日も、おトしゃんは、何時もご飯を頂いていた台所のわたしの食事コーナーに今でもそのママのお茶碗に新鮮なお水を満たしてくれました・・

わたしが、居た時と同じように・・・

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(2007年12月)


『 チョコぉ・・・お水を飲みなさい・・ 』 と小さなため息と共に・・・・。

おトしゃんの心に、わたしが足元でウロウロしていた頃の過ぎ去った 『 甘やかな記憶 』 をよみがえらせる 意識下の儀式なのでしょうねぇ♪
 

昔。お母さんが手作りお人形さんを綺麗に飾っていた出窓も何年振りに掃除してました。今では、おトしゃんの手造り瓶詰めが占領してますが・・・
 
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わたしが生きていた今年最後なので、おトしゃんに、「 今年は、いろいろとありがとうございました 」 と伝えようと思いました・・・

すると、どうでしょう???
わたしからの思いが伝わったのでしょうか?長年、水やりをしていた窓辺の植木の葉っぱが突然に激しく揺れだしました?

これは、わたしの想いが叶った、わたしが生きていた年の最後の大晦日の奇跡のはずなのです?

首を振るように揺れる葉っぱを見ながら、おトしゃんは、『 やっぱり チョコとは、いっしょだねぇ♪ 』 と、平然と微笑んでました♪
 
 
 
 
 

 

 

投稿者 choko : 20:19 | コメント (2)

2009年12月29日

おトしゃんとの最後の忘年会・・・

今日から年末年始のお休みです。
お家を大掃除したり、お洗濯したり、お正月のご馳走用の食材をスーパーに買いに行ったりと、おトしゃんには世帯主兼主夫としてしなければならないことが山積しているはずです・・・

お母さんは自分で動かれないのでヤキモキしているはずなのになのですのにです・・・??

なのに、なのに、お昼のご飯仕度が終わったとたんに『チョコぉ、山の忘年会に行こう♪』と(わたし)バッグに詰めました・・・

性懲りも無く、また「札幌台」です・・・

よいしょよいしょと登るおトしゃんの汗が(わたし)の頭にもポタポタ落ちます。
おとしゃんは、それを誤魔化すように何度もバッグの中のわたしの頭をナデナデしていた記憶が(わたし)によみがえります・・・♪


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此処は、空は大きく広がり、遠くの山々は輝き、海は霞んで見える様な、わたしとおトしゃんが生きている希望と喜びを感じられた心やすらぐ此の世の空間でした♪

以前の様に(わたし)はバッグからおろしてもらいました・・・

今の(わたし)は「伏せ」しか出来ないので、お腹が冷たいです。

その事を解ってか、おトしゃんは(わたし)に寒くないようにモコモコに服を着せてくれました♪

本当は(わたし)は風邪なんかひかないのですが、寒そうな格好をしていると見ているヒトが寒がると云ってましたが・・・この時期にこんな場所でこのような事をしているのを誰が見ていると云うのでしょうか?

でも、こうして天と地が近寄っている空間に佇んでいると例えようも無い位の至福感に包まれてました♪

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もうすぐ札幌台です。

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分岐点では何 時もこうして写真を撮ってましたねぇ・・おトしゃんには人生は迷いの道の連続だったのでしょうか?

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(2007年12月)


頂上に着いたら、バッグから(わたし)、超炭酸硬水、アルコール無しビール、そして非常食兼おつまみとしてのお煎餅SETを出して、わたしとおトしゃんのの最後の山頂忘年会なのです。

わたしは、今年の4月まで生きてましたので、何とかおトしゃんと今年の出来事を話題にして語り合えるのです♪

本来であれば豪勢に「湯豆腐鍋」とか「野菜たっぷり焼肉」とかで盛り上がるはずなのですが、今回は気心のしれた(わたし)とおトしゃんだけの出席なので質素で倹しい忘年会となりました♪

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おトしゃんは、超ひぇひぇのアルコール無しビールのようなものを飲み、(わたし)に


 チョコと来た此処の空間は同じだけれど・・・
 チョコとおトしゃんが一緒に暮らしていた最後の年はもう去ってしまうねぇ・・・

 山登りをするようになった2000年から2009年までの10年間、チョコと一緒だった忘れられない思い出が此処に来るとよみがえるねぇ♪

 お家に誰も居ない寂しい、休日の午後、チョコと何時もこの辺をウロウロしていたねぇ・・・・
 ・・・・・・・・・・・・・・チョコぉ・・・チョコぉ・・・・・・・・・と呼んだら・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 ・・・・・・・・・・・・・・何時も・・なぁにぃぃ♪・・・・・・・・おトしゃんの顔を見ていたねぇ♪・・・・・

 とうとう・・・チョコとの最後の忘年会だねぇ・・・・・・・・・・・・・・・

ブルブルッ震えながらその他アレコレをブツブツと語ってました。

なんと、此の世の四次元のうちの時間の記憶が消えていき、これからは空虚な三次元空間しか無い・・と・・云っているのでしょうか?

当然、(わたし)は黙ってました・・・


音の無いこの時空間に冬の午後の夕暮れが冷気と一緒にどんどん近寄ってきます。

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おトしゃんは(わたし)が寒くて辛そうに思ったのでしょう・・・
緊急用ツェルトを設営し、寒風から守ってくれました♪

ツェルトに包まっている姿は、まるで、おトしゃんの心に間借りしている 【 わたし 】 を画いたようです♪

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1缶のビールのようなものと、おつまみ少々も無くなり、おトしゃんにとって今年の最初で最後の忘年会はお開きです・・・・

話し相手は、空と風と真っ白な雪と・・・ 【 わたし 】 ・・・でした。。。。
 
 
 
 
 
 
 
 


投稿者 choko : 18:36 | コメント (2)

2009年12月27日

チョコぉチョコぉ・・・

A秘境探検隊長のおかげで世にも珍しい風景社印が出来上がりました♪
直径35mmの小宇宙の中に、あの謎のウッドサークルとわたしが画かれているのです♪

社長は嬉しそうにスタンプを会社の大事な書類にペタペタと押しまくってました。

会社の代表印も、コレにする気なのでしょうか?
そんな事をしたら、フザケていると・・・物議を醸すのではないのでしょうか?

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あげくの果てに自分の腕にもペッタンコして「腕時計みたいだぁ♪」と喜んでました・・・
腕時計を付けたことが無いヒトなので嬉しいのでしょうねぇ♪

でも、いったい何のためにこんなイカレタ事をするのでしょうか?

もしかしたら、お手手に切手を貼って郵便局に出向いてお願いしたらお手手にも風景印を押印してくれるのではないかと考えたのではないのでしょうか?

憲法や法律に照らしあわせて考えてみても違法にはならないはずです。

おトしゃんは、試して見る価値は充分にあるであろうと、決意してました♪

常軌を逸して・・背中一面に切手と風景印・・なんて。。。♪
それを、皆んなに自慢する姿を夢想して嬉しそうでした♪??

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そして、昨日はN支部長と山登りでした♪
そうです、何度も何度も来ているわたしとおトしゃんの実家の様な「札幌台」です。

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ここに来ると、おトしゃんはわたしが足元で一緒に歩いていた記憶が強烈によみがえるようです♪

もしかして、わたしが後ろに居るかもしれない・・・と。
「チョコぉチョコぉ・・・」と振り返りながら呼んでみたりしてます♪

わたしとおトしゃんはここの風景の一部でしたからねぇ・・・


(写真を突っついて大きくすると、小さなわたしが見えます♪)
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(2008年3月)

いつも、おトしゃんはこうして左肩でわたしを背負ってました・・・、
『ハァハァフゥフゥ』あえぎながら、わたしに語りかけ、何かの生きている意味を伝えたかったのでしょう・・・か・・・
わたしはバッグの中で何故か?このままおトしゃんと死んでもしょうがないと思ってました♪

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(2006年1月)

今回の冬からは、おトしゃんは一人で歩いて生きて行かなければならないのです・・・

フラフラとなんとか前進しているおトしゃんはN支部長から「今だに左肩があがっているよぉ」と、左肩のなごりを指摘されてました・・・


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ぁあ・・わたしはわたしなりに理解しました♪
やはり、おトしゃんはわたし無しで歩くのは辛いのでしょう・・・
昨日、腕にスタンプを押したのは、わたしを同行させているつもりなのではないのでしょうか♪

おトしゃんは「No」と否定してました。
腕にスタンプを押したのは、『このまま遭難死したりした時にスタンプを見たら身元がわかるでしょう♪』と云ってました。

わたしは、そこまで風景社印の有効利用方法を考えていたのかと、感心しました♪
 
 
 
 
 
 
 

投稿者 choko : 12:33 | コメント (2)

2009年12月24日

わたしとおトしゃんの最後の華やぎのクリスマス♪

太古の昔からクリスマスには、世界中の浮世のそれぞれの某からが幸せを実感し感謝し意識したりしていたのでしょうか?

昨年までのおトしゃんはこの日には、『せっかく生きているのだからぁ~』と言いながら自作のケーキのようなものを焼いてわたしと一緒に厳かな気持ちでビールを飲んだりしてました♪

わたしも、若い頃はおトしゃんと一緒に少しだけビールを頂いたりしたものでした♪美味しくて幸せだった記憶が脳裏に焼き付いてます♪

でも・・・今のわたしは・・・記憶の中の存在なのです。。

おトしゃんは寂寥に沈んでいるのです・・・

今日のおトしゃんは、わたしが居なくなったので今回はあの特製クリスマスケーキもどきを作ったりする事も無くなり、気楽そうに『特製お母さん用柔らかヘルシーおでん』を、もそもそと冴えなく煮込んでました・・・

ところがです・・・もう、わたしが居ないのにわたし宛にクリスマスプレゼントが届いたのです♪

ああ・・・色香る・・・真紅のお花でした♪

あぁぁ


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【西区のMさん(レナさんのお姉さん)・から・・情熱の心を頂きました・・ありがとうございます】


雪の白さで心にまで色が無くなっていたおトしゃんに、真紅のお花が『情熱』と云う、『心』を一緒に持って来てくれたのです♪

情熱と云うからには(熱)があるのです♪熱があれば心の寒さに負けないのです・・・♪
ヒトの気持ちが理解できないママ今まで生きてきたおトしゃんは、この時期の「真紅の情熱」の強烈なレナさんの励ましに心が震えてました♪


ありがたい、ありがたいと思っていたら、クリスマスカードと御本のプレゼントも頂きました♪
なんと、あの著名なトラさん兄弟のダイガさんココアさんの御本でした♪
しかも、タイガさんは、わたしと同様でもう居ないのです・・・・

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【東区のNさん(音和丸さん、大五郎さんのお母さん)・から・・慈しみの心を頂きました・・ありがとうございます】

わたしと必死に暮らす以前のおトしゃんだったら、理解出来なかっただろうはずの「タイガとココア」の御本は、今のおトしゃんには行間まで心に染み渡っていたようです♪
音和丸さんのお母さんには、何冊もの御本を頂き、救いの光を与えて頂きました♪

南区のOさんからは、わたし宛に『御供』の熨斗紙付きで・・・・ケーキ、一式を頂きました・・ありがとうございます♪

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わたしが大好きだったチーズが入ったケーキ等なのです・・・・が・・
ナント?甘いものなど絶対に口にしなかったおトしゃんが、モグモグ食べてました?甘いものは悲しみや辛さを遠ざけると云う事を理解したのでしょうか?

北区と北郷の登山家のAさんMさんからは、ナント、おトしゃん用の登山シャツと特製登山用強力靴下まで頂ました♪

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(おトしゃんのシャツにしがみつき包るまっているわたしなのです)

わたしの代わりにおトしゃんなのです♪

わたしとおトしゃんはゴチャゴチャになってしまいました♪
あぁケーキもビールもゴチャゴチャになってしまいました♪

もう、わたしなのかおとしゃんなのかが解らなくなってきました♪

今夜、たくさんの電話やお手紙も頂きました・・・ありがとうございます♪


おトしゃんにも、天からの言葉が寄せられてきました・・♪
クリスマスなので、おトしゃんにも「ありがたい奇跡」が来たのでしょうか♪


そのものすごい・・言葉は 【 人生はワンワンで決まる 】・・・と云う言葉です♪


この言葉は、おトしゃんへの(ワンワン女神様)からの情熱と慈愛のメッセージなのなのでしょうか?


 【人生はワンワンで決まる】
 【人生はワンワンで決まる】
 【人生はワンワンで決まる】


幸せいっぱいのおトしゃんは、間借りのわたしに・・

然り・・然り・・然り・・と♪

おトしゃんは一人でヨイヨイヨイと浮かれてました♪

【チョコぉぉ・・・チョコは居ない、でも、たくさんの皆様から心を頂いた僕とチョコの最後のクリスマスを忘れないヨォ・・】と♪


おトしゃんの人生は、わたしで決まってしまったのですねぇ♪

 
 
 
 

投稿者 choko : 21:45 | コメント (0)

2009年12月21日

風景印の中にも居るよ・・・♪

秘境探検隊のA隊長は、著作においても未知なる秘境に挑戦してます♪

なんと今回は「風景印でめぐる 札幌の秘境」と云う本が出版されました♪

風景印とは何んなのでしょう?と考えていたら、A先生から、『会社の風景印を作ってみませんかぁ?』と、社長にありがたいアドバイスをしてくれました♪

それはそれは、たいへん楽しくありがたいアドバイスなのですが、社長に風景印をデザインする等の才能等があるわけはありません。

正式な風景印規格の直径36mmの中に精密緻密な絵を描くなんで目も悪いので考えただけで眩暈がするのでしょう・・・

でも、おトしゃんはメゲません!
世にも珍しい会社風景印を作ろう・・と挑戦し始めました♪
小さい絵は、見えないので・・と、言いながら、コンパスも無いので工夫をしてサバの味噌煮の缶詰を持ってきて、円を描き、中に絵を書き始めました♪

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何度も何度も、カレンダーの裏に下手な絵を描いて挑戦してました・・・ 
何を描きたかったのでしょうか?

(下の写真を突っついて大きくすると苦労が偲ばれます♪)
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社長に会社の風景印と言えば、『この風景でしょう・・』と即答するのでしょう♪
そうです、町内会の、あの幻の秘境ウッドサークルとわたしなのです♪

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(2006年5月)

社長は、何度も何度も下手な版下の絵を描いてました。
いくら描いても納得のいく出来上がりは望めません・・・

こう云う時は妥協します・・・

ハイ、この図案で可とします♪
できる事なら、見た方々に「オォぉぉ・・」と感動させるように、もう少し芸術性を高めたかったのでしょうねぇ~♪

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これでは、漫画とも云えない稚拙な図柄ではないのでしょうか?
社長は、図柄の中の、(わたし)に命を吹き込もうと格闘していたようです・・・
「おりこうチョコ」を表現しようと・・・

何故か?わたしを描いている時の社長は嬉しそうに鼻歌を唸ってました♪
キット、この会社風景印の中にお利口そうなわたしが居るのが心の救いなのでしょうか♪

わたしが居なくなって何ヶ月もの歳月が過ぎ去りました・・・
わたしの記憶も薄らいできたことでしょう・・・
それでも頑張って、夕日輝き、チューリップ咲き、お星様キラキラ、そして、わたしが居る・・・版下を画きました♪

でも、これは、現実の風景ではないのではないのでしょうか?
ウッドサークルはわたしの何十倍も大きいはずです?

この版下の風景は社長の心象風景なのではないのでしょうか?
わたしは、この風景印の中の(わたし)はわたしなのだなぁ・・と思いました。
おトしゃんにはこのように見えていたのですねぇ♪

それにしても、ずいぶんと単純ですねぇ~。
考えていることも単純なのでしょうねぇ~♪

社長は『初めに作る当社の会社風景印が立派だと後に続くヒトがやりにくいだろう、だからこれで良いのだ♪』と、自己弁明をしてました♪

今回、大発見したのは「サバ味噌煮缶詰」が下絵を画く大きさに適している事だそうです♪。わたしは「水煮缶詰」でも良いのではないのかと思いました♪

 
 
 
 
 
 

投稿者 choko : 17:38 | コメント (1)

2009年12月19日

Oさん さようなら・・・

昨日、おトしゃんの親友のOさんがお空の彼方に旅立ってしまいました・・・

Oさんが命を戦っている頃のお空は血の色で悲しみがいっぱいのお空でした・・・
わたしとおトしゃんはお空が泣いている・・・ねぇ・・と、胸がつまりました。

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(2009年10月)

最初の出会いは、四十数年前、小樽の高校に転校してきた一人ぼっちのおトしゃんに、初めて声を掛けてくれたのが当時15歳のOさんでした・・おトしゃんも15歳でした♪

それ以来、それぞれのお仕事人生でしたが、ああでもない、こうでもないとお互いにそれなりやこれなりを確認しながら世にはばかって生きてきたのです・・・

お互いが悪タレガキだった頃の思い出がよみがえるそうです・・・

そして・・・・

忘れもしません、この「ワンワンの会社勤務」ブログを始めて間もなくの時でした。Oさんは事故で大怪我をし首から下の感覚がなくなり、全身が動かなくなってしまいました・・・・。
あれから5年間、ベッドに寝たまま天井をにらむだけの暮らしでした・・・

入院一年目の頃は、病院にお見舞いに行くと『福本、俺を殺してクレ・・』と何度も強くお願いされてました・・・

おトしゃんは、その思いをかなえてやろうなんて気持ちはサラサラなく、『リハビリーを頑張って、一緒にビールを飲もう♪』、と、適当に誤魔化していたそうです・・・

おトしゃんは、Oさんの何の役にもたちませんでした・・・
唯一、考えたのが体が動かせられないOさんに呼気でテレビを操作する機械をN北方支部長とT先生に作成を依頼した事だけです・・・

それから・・・何故なのか?おトしゃんは自分が弱気になった時はOさんの病院に出かけてました。
わたしは、何十回も病院の駐車場で待ってました・・・
精神がテキトウでイイカゲンなおトしゃんはOさんに、どのような心構えで生きたら良いのか相談していたようです・・・
Oさんは、自身の状況にも拘らず、おトしゃんに此の世の理を諭してくれました。


病院に行くとOさんは『オゥ・・』と言います。
おトしゃんは『元気か?』と訪ねます・・・
いつも・・そのあとは、黙って、いたそうです・・・


ある時、Oさんはおトしゃんに辛い気持ちを訴えてました・・
おトしゃんは、『お前の運命だから、受け入れるしかないだろう・・』と、他人事のように冷たく言い放ったそうです・・・
Oさんは、どんなにか悲しかったことでしょうか?もう少し優しい言葉は無かったのでしょうか?


Oさんは、今年の秋から「ご飯も」食べられなくなりました。
それでも、お見舞いに行ったら『先に行って待ってるヨォ』と、笑ってました。

・・・今週の月曜日、おトしゃんと(わたし)が会いに行ってきました。
今の(わたし)はぬいぐるみなので、一緒に病室に入れてもらえました♪

その時です、前日まで、昏睡し続けていたOさんが突然、目を覚ましました。
付き添っていた、奥様、お母様が『福本さんが来ているとぉ』と言いました。
ベッドで半起になって酸素マスクやらチューブを付けられていたOさんは、ベッドの足元でぼんやりと突っ立ているおトしゃんを、怒ったように、にらんでました・・・

おトしゃんは、何を言われても解らない鈍いヒトです。
そのおトしゃんにOさんは、何を伝えたかったのでしょうか?

二人は、数分間にらみあってました。

あの時が、二人が会った最後でした。
 
 
 
 
 
 

投稿者 choko : 19:05 | コメント (4)

2009年12月16日

(わたし)の久々のお仕事♪

年末には、わたしと社長は暦を持参してお客様の会社に挨拶に出向いたものでした・・・
とは云うもののキチントした身形、時節の挨拶、ビジネス会話等々が出来ない社長なのですので、わたしをダシにしてムニュムニュモゴモゴと語って挨拶代わりにしてました。

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(2007年12月)

お客様の会社のH常務さんは仕事は厳しが心優しい方で、わたしが暦持参で訪ねると応接間に通してくれて茶菓子まで振舞ってくれるのです♪

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(2008年12月)

社長が起立して挨拶している間は、わたしはこうして暦と一緒にバッグで目を閉じてジッぃぃ~と、おりこうさんにしていたものでした♪

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(2008年12月)

そして、今年も、そうしたいのですが、わたしはもう居ません・・・
わたしが居ないからといって挨拶に行かないのもこれまた礼を欠く事になるのではないかと社長は考えたようで、結局(わたし)がわたしの代役を務める事に成りました♪

暦持参で自動車に乗って出かけます♪
頭がモシャモシャですが・・・

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モシャモシャは以前もそうだったし、社長もそうなので気にしません♪

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(2008年12月)

H常務は、今年から社長に成られたそうです♪
偉くなっても心優しいH社長は以前と変わらない心遣いで(わたし)を応接間に通してくれました♪

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ビジネス社会の常識が欠如している、社長は、本来であればH社長の就任祝いの言葉を述べるべきなのに、(わたし)をテーブルに上げて、チョコは死んでもこうして立派なドレスを着て挨拶周りをしていて、いまでも会社に多大な貢献をしている・・・と見当違いの話を力説してました。

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H社長は、あれこれの事情を解っているのでイカレタおトしゃんとまともに付き合ってくれてましたが、経緯を知らない事務の方々はヨレヨレの服を着てズックの赤い靴を履いて黒メガネをかけて、ワンワンのぬいぐるみのバッグを肩から下げて、ウロウロしている光景は、白昼の悪夢だったのではなかったのではなかったのでしょうか?

今では、おトしゃんの記憶に間借りしているわたしですが、お仕事関係の方々に今でも覚えて頂いたことが、とっても嬉しかったです・・・

でも、こんな事も今年限りでしょうねぇ~♪

 
 
 

 
 


投稿者 choko : 15:33 | コメント (2)

2009年12月12日

歳末の気分・・・

日が暮れて来ると、お仕事にお勤めの人々も散歩のワンワンもイソイソとお家に帰ります。
お家の中は灯が温かいく灯って、ヤレヤレとくつろぐのです♪

年の暮れが来ると、ヒトは勿論ワンワンも、何かに浮かれた様に・・ソレソレソレソレと急がされます・・・
歳末には暗くなるとピカピカ光る灯りを飾っったお家が街のあちこちに見かけます♪


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キラキラの光は、お家の皆んなの幸せの光なのでしょうねぇ~♪
お家も、飾ってもらうと嬉しく思うのでしょうねぇ~♪

わたしとおとしゃんは、微笑ましく思ったりしてました♪
やはり、夜が長い季節になると、わたし達生き物は光を求めるのでしょうねぇ♪


もう昔の事になりましたが、ホームセンターへわたしの食料の買出しに出かけました。
お店の中は歳末特有の華やぎ感にあふれ、ピカピカ灯りをたくさん売ってました。

わたしは内心、わたしのお家もピカピカ灯りで飾ったら気持ちも明るく成るのではないだろうかと思ったりしました・・・
おとしゃんも同じ様に考えたみたいで、暫くは売り場をウロウロしてました・・・
でも、諸般の事情で購入はしませんでした。


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(2005年12月)


質実剛健な暮らしを旨としているとか、電気代がかかるとか、取付け作業が面倒とかの理由ではありませんでした・・・

わたしも、おとしゃんも、暗闇の中でも、少しでも自身で光って、頑張って生きなければ・・・と、必死だった頃でした♪
電気の光に希望を託すのが辛かったのです・・・・


そういえば、遠い昔・・・わたしもおトしゃんも、光っていた時がありましたねぇ♪

 
 
 
 
 
 
 


投稿者 choko : 17:35 | コメント (1)

2009年12月08日

太平洋戦争開戦の日・・・と、水たまりの空♪

おトしゃんには昨年まで、この日は特別な日だったようです・・・
毎年毎年、親友のH先生と、ビールを飲みながら囲碁を打つ日だったのです・・・
H先生40歳、おトしゃんは19歳の時に知りあってからの親友なのでした・・・
二人は囲碁を打っているのではなく、四十数年間も碁石を並べて深い深い命のお話をしていたようです・・

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(2006年12月)

H先生は、こないだの戦争で20000人もの兵隊さんが死んだ南方の島に兵隊さんとして連れて行かれて、100人足らずの生還者の一人だったのです・・・
想像を絶する凄惨な状況で、命を戦って生きて帰ってきたのです。
戦後に生まれたおトしゃんなのですが、そのような悲惨な状況を理解する心は持ってます♪
二人の心の深淵には共通な何かがあったのでしょうか?

H先生には毎回、「ワンワンの会社勤務」に巻頭の文を寄せて頂きました♪
そして、昨年末、倒れてしまいました・・・
先日は、肺炎で倒れました・・・

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今日、やはりH先生は、命を戦ってます・・・

おトしゃんは、12月8日なのに、今回は囲碁も出来ないので病院に会いに行って「早坂さん(H先生)、明日、死ぬかもしれないよぉ・・・100歳まで生きるかもしれないよぉ」と、ヒドイ事を言ったそうです・・
早坂さんは、薄れ行く意識にも拘わず、「そうだなぁ・・フクちゃんありがとうぉ、死んでからも付き合ってくれるのだなぁ」と嬉しそうに笑っていたそうです・・・

確かに、死んでしまったわたしにも延々と付き合ってはいますが・・・


死ぬかもしれないヒトに「死ぬかもしれない」と言うおトしゃんは、未だに現実の此の世の常識が解っていないのでしょうか・・・??


そういえば、2年半前の頃でした・・・
仲良しの酒屋のおじさんが死んだ日でした・・・

おじさんのお店の前の水たまりの横にわたしを置いて・・


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(2007年4月)



  チョコぉ・・見てごらん・・・
  あの世が見えるヨォ・・・

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(2007年4月)


水たまりを覗いてみると、お空が見えました♪
お空は天上のはずですが・・・

わたしは、おトしゃんと一緒に手を握ってこの水たまりのお空に飛び込んでみても良いのではないかと思いました・・・

此の世に居なくなった皆んなと一緒にお空で暮らせるのではないのでしょうか♪
もしかしたらぁ・・と、おトしゃんも、暫くは真剣に考えていたようです・・・♪

地獄の中で兵隊さんは、きっと戦場の水たまりに写るお空は故郷のお空と見えたのではないのでしょうか・・・・

 
 
 
 
 
 


投稿者 choko : 21:18 | コメント (2)

2009年12月03日

チョコ前 チョコ後

産前産後とか戦前戦後と云う言葉を聞いたことがありました・・・♪
おトしゃんは最近、日ごろの暮らしの変化を「チョコ前チョコ後」と区分けして考えるように成ってきたようです?
わたしが居なくなる前が「チョコ前」でわたしが居なくなったその後が「チョコ後」だそうです・・・
おトしゃんの人生感にチョコ前とチョコ後と云う断層が出来てしまったのでしょうか♪

昔から、おトしゃんは何年間も、しかも年中、ヨレヨレの同じ服を着ていても平気で暮らしているヒトなのです。
冬でも夏と同じ服を着ていたりしています?世間ではオカシイと思われているようなのですが、「今更どうでもいい」と意に介しません。
自動車のタイヤも年中、冬タイヤのママで走ってます・・・


しかし、わたしに対してはキチンと常識的に対応してくれました♪
毎年、初冬の肌寒い時期になると、おばあちゃんが買ってくれた毛皮のコートを散歩の時には必ず着せて気遣いをしてくてました♪

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(2008年12月)


晩年のわたしには、「温泉腹巻」と命名した怪しい工夫までして風邪などに罹らないようのにしてくれたものでした♪

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(2008年12月)


ところが、チョコ後の今は、チョコ前の暮らしのように、わたしに冬用の衣類を準備するとかの気遣いも必要なくなりました。
チョコ前のあの頃のように、ゆっくり散歩しながら季節と時間の流れを感じることもなくなってしまいました。

やはり、おトしゃんの気持の切り替えには(わたし)の衣替えの儀式が必要なのでしょうか。
せめてもと、(新チョコ)に毛皮のコートを着せ、それによって冬用の心持になったようです♪

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チョコ後の初めての夏も過ぎ、秋も行ってしまって、これからはチョコ後の初めての冬です・・・
おトしゃんは、チョコ前の記憶のママの来春までは、このブログをなんとか続けると言ってます。
わたしと一所懸命暮らしていた、かけがえのない記憶を思い出しながら頑張る・・・と♪

 
 
 
 
 
 

投稿者 choko : 18:36 | コメント (3)