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2005年12月08日

No.149901 (石久隈市)は捕虜収容所の認識番号・・

先日のこのブログの1000回目の訪問の方のコメントを調べてたら、社長の畏友、歴史研究家のHさんでした♪

さっそく豪華粗品と云うことで、社長と二人でBeerやらおつまみやらを持参して、お礼がてら訪問しました。
社長は、「No.149901 石久隈市さんって、誰ですか?」と、Hさんに訊ねました。
Hさんは60年前の消えることのない記憶の断片を静かに語ってくれました。
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そういえば64年前の今日12月8日は太平洋戦争開戦の日でした。
そうして、敗戦間近な南洋の小さな島でHさんは数名の仲間と一緒に、何ヶ月も何ヶ月も食料、弾薬、等々全く支給されないまま敵軍とジャングルで戦ってました。
当然の如くの飢餓や熱病、銃弾、爆薬で、戦友さんもバタバタ死んだり殺されたりで、道路脇には、屍累々、なかには肉を切り取られた死体もコロガッテいたそうです。
そんな生地獄のなかで、仲間の兵隊さんは一番若いHさんに、『お前は生きろ!』と、言って、なけなしの食料を分け与えたり、敵の銃弾で重症を負って、もげそうになったHさんの手の看病をしてくれたり、みんなでHさんに命を与え続けてくれたそうです。

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でも、人間が生存を続けるには、あまりにも過酷な状況でした。
先輩たちは一番生きる可能性のあるHさんに未来を託し、無念万感の思いで死んでいったそうです。
一人残されたHさんも、骨が砕け、ウジがわいている手の痛みで気を失いそうになって海岸をさまよっているうちに、倒れてしまって・・・そのまま死んだはずだったそうです・・・
数日後、気がつくとオランダ軍の捕虜収容所に収容され、怪我の治療を受けていたそうです。
胸にはNo.149901の認識番号証が付いてました。
島にいた20000人の兵隊さんで、生き残ったのは100人前後だったそうです・・


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60年後の今でも、裂けた骨の破片が体内を移動するそうです。
そうしてジャングルをさまよっている、辛い夢がむしかえすそうです。

失礼ながら、わたしは腕の傷を見せてもらいました。
心の深奥に刻まれた記憶の傷にも触れました。

No.149901番は、Hさんに想いを託して逝った方々の記憶の扉を開けるKEYの番号だったのですねぇ。

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生きるのに極限の状況で命を託された戦友さんの怨念を背負って生きているHさんに、わたしにできることは、『Hさん、生き延びられてよかったね♪』と、云う戦友の皆様の気持ちでHさんをペロペロするのみです。

「冬の優しい陽光が、Hさんとチョコの影を包んでいた。。きっと南洋の島からの光がとどいたのだぁ」と、社長はどう云うわけか、赤い目で写真を撮りながら、例の如く無遠慮に騒いでました・・・。。。
 

投稿者 choko : 2005年12月08日 12:52

コメント

新年おめでとうございます。社長もチョコも老体にむちうって
余り無理をしないように山に行って下さいね。写真のピントが
ズレているのは、ビールのせいでしようか?

投稿者 ダンベル : 2006年01月07日 17:53

1000回おめでとうございます。
私も狙っていたのですが早かったですね。やはり、チョコの人気ですね。最近は、色々と楽しませていただいています。社長はよく書いていますね。関心いたします。
今年は、チョコはいくつの冬山を登るのでしょうね。
明日は、たのしみですね。
又の機会をよろしくおねがいします。

投稿者 山のお姫様 : 2005年12月09日 19:14

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