« 2005年11月 | メイン | 2006年01月 »

2005年12月31日

11年前の大晦日からのスタートでした。

ちょうど11年前のワンワン年の最後の日に、社長は例の如く急に「おばあちゃんと幸せに暮らせるワンワンを探しに行く」と、言って街に出かけたそうです。
大晦日と云う事で大半のお店はお休みでしたが、偶然に開店しているお店を見つけ
そこの隅っこで薄汚れて小さく丸まっていた、わたしを気に入ってくれました。
その後、やさしいおばあちゃんと会社の管理人をしながら、わたしはのんびりおおらかに暮らしてきました。
一昨年におばあちゃんが亡くなって、会社のおばあちゃんのお部屋でわたしが生活するわけにもいかず、社長のお家で暮らすことになりました。
社長のお家では、お母さんが社長とわたしに美味しい食事を作ってくれてたり、身のまわりの世話をしてもらってました。
お母さんが三月に体調を崩して入院してからは、日々の暮らしの事が心配でした。
家事全般に無関心無責任無作法な社長と一緒に生きていけるのか悩みました。
でも、『何とかなるものですねぇ』。

わたしも会社勤務を始めて一年が過ぎました。
<写真は、社内の見回りのお仕事をしている様子です>

050505.jpg

こうして、無遅刻、無欠勤で、勤めることが出来たのも、健康でいられたからと、自覚しました。
そして健康を支える元は毎日の食事なのでしょうね♪
その食事を如何に美味しく楽しく頂くか!と云う工夫と、感謝する心の有り様が大事なんですね。
社長もわたしのご飯をいろいろと工夫して作ってくれます。
もちろん本人のご飯も、失敗を繰り返しながら改良を重ねてます。

もっと、様々な料理を習得して、皆様にふるまって喜ばれたいねぇ~
お母さんが退院したら、元気が出る美味しいお料理を作ってあげたいねぇ~
と、社長と話し合ってます。
と、云っても社長の描いている料理と現実の実体とは今のところそうとうかけ離れてます。
見栄えが悪く、ワンワンのわたしも、のけぞることがママあります。
味だって、毎回異なるようです。
道は遠い・・というのが、わたしの見立てですが。。。


来年は、ワンワン年です。
ワンワンのわたしがワンワン年を二回も経験できるのはありがたい限りです。

想い起こすと、
社長と出会ったのは必然で、今の暮らしが偶然なのですかねぇ!
それとも、
社長と出会ったのは偶然で、今の暮らしが必然なのですかねぇ!
わたしは、
社長と出会ったのは必然で、今の暮らしも必然と思ってます♪
来年も、美味しくご飯を頂くために、頑張って生きていきます!♪

DSCF00391231.JPG


投稿者 choko : 18:31 | コメント (0)

2005年12月24日

クリスマスケーキ

今夜はクリスマスイブですが、社長もわたしも、もう大人なので格別の予定もありません。
社長は、髪がボウボウ伸びて、ぼんやりみすぼらしい表情で座っているわたしを見て
散髪を決心しました。

DSC009391225.JPG

冬なので、寒くないように頭部だけのカットにしましょうと、意見がまとまりました。

社長にとって今回で三回目の床屋さんですがさっぱり上手になりません。
わたしは無事でしたが、やはりハサミで自分の手をカットし、血を流してました。

もう、カットの仕上がりをとやかく言うのはあきらめました。
怪我をしないだけでも十分ありがたい事です。

DSC009401225.JPG
床屋さんも終わりサッパリしたところで、クリスマスのお祝いをしましょうということで社長はいつもの缶詰の他にササミのホイル焼とクリスマスケーキ用意してくれました。
わたしには、いつもの怪しげなパンに見えるのですが、本人はケーキのつもりで玉子、牛乳、お砂糖、脹らし粉を入れて、お皿ごとオーブンで焼いてました。
期待したようには膨らまなかったのですが丸いお皿でそれらしく焼き上がりました。

銀紙で包んだササミやケーキやらできらびやかな食事が用意できました。

社長は普段はケーキなど口にしないのですが、自分で作ったからか、美味しいと子どものように喜んでました。
たしかに、今回のケーキもどきはシンプルな味で、わたしも美味しく味わうことが出来ました。

次回はイチゴなんかも上に乗っけようとの前向きな意見も出ました♪
ただ、慣れないのでオーブンからお皿を出すのに、素手でつかんで火傷をしたり、ナイフでさらに手をカットしたりで、代償もそれなりに払ってました。。。
でも、ケーキのおかげでなんとなくクリスマス気分に成れました♪


DSC009431225.JPG

投稿者 choko : 20:22 | コメント (1)

2005年12月10日

荷物運び

山に登れる時は、素直に山に行くと云う信念らしく、今日も探検隊の白石支部長の社長とN北方支部長は早朝より用意を始めました。
今はふかふか雪の時期で、わたしはお腹が支えて歩けないので、「チョコは荷物扱いにしてバッグで運搬する」・・と云う今回の登山の方針が決まりました。
社長はバッグの中で、ジィ~っとしていると寒いだろうと、セーターやらコートやらをわたしに着せ、更に念入りにホカホカカイロを何枚もバッグに入れました。
過剰防寒対策バッグ内は蒸し風呂状態になり、冬山なのにのぼせて失神しそうになりました。
DSC00907kitahiro.JPG
社長は背中にたくさんの荷物を背負い、脇にはわたしのバッグをぶらさげ、ヨロヨロ、フラフラ、これまた大汗をかいてました。
写真で見ると、わたしはバッグに揺られて楽ちんそうに見えるでしょうが、、とんでもございません。
社長は竹につまづいて、つんのめったり、凍りついた斜面で何度もひっくりかえったりで、そのたびにわたしも同期してひっくりかえります。
わたしも投げ出されて怪我をしないようにバッグの中で緊張してますので、精神的にクタクタになります。


DSC00058kitahiro.JPG

なんとか頂上にたどり着きました。
ワーっと青空が広がり、太平洋まで見える好天だったので、わたしは良い空気を吸い、すばらしい景観を楽しもうとうろうろしていたら、社長達はさっさとテントにもぐりこみ、ごそごそと店開きをし始めました。


DSC00915kitahiro.JPG

ペットボトルに入れた大量のお水、ストーブ用のガソリン、食器類、BEER、牛肉豚肉もやし玉葱ラーメン豆腐タレ等々の食材、鍋、ストーブ、椅子、テント、それらを総動員して例の宴会です♪

DSC00072kitahiro.JPG

「冬はやっぱり鍋がいいねーー」。
「蒸気もたくさん発生するので風邪もひかないねーー」。
例によって、テキトウナ会話かとびかってました。
わたしも美味しいお肉を堪能しているうちに、景色のことなどすっかり忘れてしまいました。
社長達もゴゥゴゥと燃焼しているガソリンストーブと体内で燃焼しているアルコールで
温まり、3人で眠ぅ~くなりありがたい気持ちがいっぱいになりました♪


DSC00911kitahiro.JPG

『住めば都』と、云うように「このままここにいたいねぇ・・帰るの面倒だねぇ・・」と、みんなでうなずきました。
離れて、わたし達のテントを見たら愛着まで感じできました。

ところで、秘境探検隊の目的は何なのでしょう?!?
たくさんの荷物を背負って山に運んで、背中のリュック内の食料やBEERを胃袋に移動して、ゴミはリュックに詰めて、また山から下りる。
足にかかる重さは一緒ですねぇ~
ちっとも、軽くなりませんねぇ~
山登りして減らした以上のカロリーを山で補給してくる。
ちっとも、ダイエットになりませんねぇ~
何をしに山に行っているのでしょうねぇ~
荷物運びが好きなんですかぁねぇ~♪

DSC00069kitahiro.JPG


投稿者 choko : 20:18 | コメント (0)

2005年12月08日

No.149901 (石久隈市)は捕虜収容所の認識番号・・

先日のこのブログの1000回目の訪問の方のコメントを調べてたら、社長の畏友、歴史研究家のHさんでした♪

さっそく豪華粗品と云うことで、社長と二人でBeerやらおつまみやらを持参して、お礼がてら訪問しました。
社長は、「No.149901 石久隈市さんって、誰ですか?」と、Hさんに訊ねました。
Hさんは60年前の消えることのない記憶の断片を静かに語ってくれました。
DSC00836h-1.JPG
そういえば64年前の今日12月8日は太平洋戦争開戦の日でした。
そうして、敗戦間近な南洋の小さな島でHさんは数名の仲間と一緒に、何ヶ月も何ヶ月も食料、弾薬、等々全く支給されないまま敵軍とジャングルで戦ってました。
当然の如くの飢餓や熱病、銃弾、爆薬で、戦友さんもバタバタ死んだり殺されたりで、道路脇には、屍累々、なかには肉を切り取られた死体もコロガッテいたそうです。
そんな生地獄のなかで、仲間の兵隊さんは一番若いHさんに、『お前は生きろ!』と、言って、なけなしの食料を分け与えたり、敵の銃弾で重症を負って、もげそうになったHさんの手の看病をしてくれたり、みんなでHさんに命を与え続けてくれたそうです。

DSC00822h-2.JPG
でも、人間が生存を続けるには、あまりにも過酷な状況でした。
先輩たちは一番生きる可能性のあるHさんに未来を託し、無念万感の思いで死んでいったそうです。
一人残されたHさんも、骨が砕け、ウジがわいている手の痛みで気を失いそうになって海岸をさまよっているうちに、倒れてしまって・・・そのまま死んだはずだったそうです・・・
数日後、気がつくとオランダ軍の捕虜収容所に収容され、怪我の治療を受けていたそうです。
胸にはNo.149901の認識番号証が付いてました。
島にいた20000人の兵隊さんで、生き残ったのは100人前後だったそうです・・


DSC00824h-3.JPG

60年後の今でも、裂けた骨の破片が体内を移動するそうです。
そうしてジャングルをさまよっている、辛い夢がむしかえすそうです。

失礼ながら、わたしは腕の傷を見せてもらいました。
心の深奥に刻まれた記憶の傷にも触れました。

No.149901番は、Hさんに想いを託して逝った方々の記憶の扉を開けるKEYの番号だったのですねぇ。

DSC00830h-4.JPG
生きるのに極限の状況で命を託された戦友さんの怨念を背負って生きているHさんに、わたしにできることは、『Hさん、生き延びられてよかったね♪』と、云う戦友の皆様の気持ちでHさんをペロペロするのみです。

「冬の優しい陽光が、Hさんとチョコの影を包んでいた。。きっと南洋の島からの光がとどいたのだぁ」と、社長はどう云うわけか、赤い目で写真を撮りながら、例の如く無遠慮に騒いでました・・・。。。
 

投稿者 choko : 12:52 | コメント (2)

2005年12月03日

永劫回帰の記念写真♪

いつもの地球の如く、何億回もの冬の季節のようです。
わたしにとっても、12回目の冬です。
例によってわたしも、社長と十数回目の冬山登山です。
ありがたい事に、あいも変わらず、同じような事を繰り返して日々暮らしてます。

DSC00787yama.JPG
なんなんでしょうねぇ~
同じ場所に来て、同じ風景を見て、同じ様な事をして・・・
同じ様な想いを重ねて・・
どんどん、変わりゆく時間の流れ、それはそれとして
これはこれだと・・わたしはクンクン出来るのがうれしいです♪

DSC00792yama.JPG

わたし達が、いつまでもこのような事が繰り返せない事が解っているだけに、このように元気で野山を歩ける事に感謝感謝ですねぇ~♪
真っ白い、無人の雪原に写ったバッグ姿のわたしと社長の影を記憶にとどめようと写真を撮りました♪
想い出は影絵にして保存し、後で再生しましょう♪

DSC00793yama.JPG

投稿者 choko : 19:58 | コメント (1)

2005年12月02日

本人曰く、創作パン

社長は病院のおかあさんのご飯がすすまない時のために、たくさんの種類の「ふりかけ」を仕入れてきました。
当然、本人も味見をする義務があると云って、日々食してました・・

DSC00796pan3.JPG

当然、いつまでもふりかけ生活の日々が続くわけもなく、大量のふりかけが在庫品になりました。
社長は例によって急に在庫処分を思いついたと云って、残りものふりかけと小麦粉を混ぜた、なにやら怪しげなパンを焼き、「チョコ、味見をしてみないかい?」、とわたしに勧めました・・・・・・

DSC00784pan1.JPG

わたしは、おそるおそる不気味なパンに近づきましたが、とっさに動物的防衛本能が働き、のけぞりました。
我身の今後の健康を考えると賢明な判断だったと言い切れます。
うかつに正体不明のものを食べてお腹を壊したら仕事に支障をきたしますので。
社長は、そのパンもどきをニッチャニッチャと食べながら「香ばしく、マッタリとした、素朴な郷愁を感じる味だぁ~」、と例によって自画自賛してました。
しかも、「明日、おかあさんにも味見させるぅ」、と云って半分をラップに包んでました♪

DSC00783pan2.JPG

あとで、おかあさんに聞いたら、「香ばしくて美味しかったよ」、と喜んでたそうです♪
材料は小麦粉、ふりかけ、水
作り方は、小麦粉にふりかけを混合して、焼くだけだそうです。
味付けは一切必要ないと、本人は言い切ってました!
ふりかけの種類でいろいろな味のパンができるそうです。
あたりまえですよねぇ~
物好きな方はお試しあれ♪

投稿者 choko : 20:48 | コメント (0)

2005年12月01日

管理人からのお知らせ

========================
この非公開ブログも1000回アクセスが間近です。
1000回目の訪問の方は、コメント記入をされると
豪華粗品が郵送で贈られます。
(管理人より)
========================

投稿者 fugu : 12:23 | コメント (1)