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2010年01月23日

サヨナラだけが人生 か

昨年のお正月、体調を崩して倒れ、その後の一年間リハビリーに励んできたHさんが昨年末からの肺炎が悪化して、昨日ご逝去されました・・・

12年前に奥様に先立たれてからは一緒に暮らす家族もなく、一人でご飯を作って頑張って暮らしてました。

先月に旅立たれた同級生のOさんは15歳から48年間の親友でした・・・
おトしゃんより21歳年長のHさんとは19歳の時から43年間の親友でした・・・

・・・ 皆んな居なくなってしまいます ・・・


43年間、Hさんとおトしゃんは
 数千局も碁を打ちました・・・
 数千本のビールを一緒に飲みました・・・
 数千回、人生を語りあいました・・・

Hさんはライフワークの 「 民衆史 」 の研究をされてました。
十数年前には岩手県の一揆の研究をまとめて

 弘化四年南部盛岡藩遠野強訴覚書
    幻の老人
    切牛の万六
』 を出版されました。

『 五十年後、百年後に一人でもこの本を読んでこれらの事を思ってくれるだけで、もって瞑すべき 』 と生前におトしゃんに語ってました。


DSCN8089.JPG

Hさんには毎回の「 ワンワンの会社勤務 」 出版時に巻頭の言葉をお願いしてました。

前回の 「 ワンワンの会社勤務④ 」 の前書きの最後の行に、この世とのサヨナラの予感を記してありました・・・
この原稿がHさんの最後の執筆になってしまったのですね。

改めてこのブログに掲載し、H先生から頂いた御厚情への感謝とします。



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まえがき
チョコちゃん 何時までもお元気で
                   早坂基(石久隈市)No149901
 1944(昭和19)年、春から秋にかけて、私はニューギニヤ西部の孤島に居た。ニューギニヤは巨大な島嶼であって、その面積は日本の数倍はあろう。島全体はトカゲの形に似て、その首筋にあたる西部ヘルビング湾に点在する島の北方にビアク島がある。孤島とはいえ、佐渡ヶ島の大きさという。
 1941(昭和16)年暮、アメリカに挑戦したわが軍の勝利は、当初の半年より維持できず、拡大した東南アジアの戦線は、ガタルカナル島の敗北から次第に後退し、ニューギニヤ北岸を進む米軍は、圧倒的な物量作戦で日本本土に迫ってきた。
 1944(昭和19)年春、ビアク島は日本本土を守る再重要拠点として、精鋭二万の軍隊が派遣され、島の完全要塞化がすすめられた。
 五月上旬から、この島にも米軍の猛攻撃が始まり、制空権・制海権を失ったわが軍の攻撃は補給が続かず、一ヶ月余りで日本軍は完全玉砕した。全員玉砕した日本軍将兵の中に私の名前も入っていたはずである。しかし現実は違っていた。
 玉砕し果てたこの島にも生き残った兵士が居たのである。幸運にも私はその生き残りの兵の中にも入っていた。
 玉砕後も生き残った兵士のその後は悲惨であった。戦後の戯歌に 「 ジャワは極楽 ビルマは地獄 生きて還れぬニューギニヤ 」 とあった。正にそのとおりであった。
 生き残った私の体験から言えば、私達が遭遇したのは、この世の地獄であり、生死の境に喘ぐ人間の極限の生き様であった。
 八月下旬頃か、私達はビアク島北岸に居た。コリム湾の近くであろうか。部隊はすべて玉砕し果て、残った兵士も次第に消え、組織的動きは終わっていた。その頃の私は白川千代太君、樋野五郎君と三人で生き延びていた。
 私達は米軍の発見から逃れるため、日中は煙をあげず、夜間は光を遮断して潜んでいた。そして僅かな食料を求めて踠いていた。飢餓と熱病のため体重は半減し骨と皮ばかりで歩行も容易ではなかった。
 ある日、食料を探して帰ってきた樋野五郎君の両腕には、可愛い仔犬二匹が抱えられていた。巨樹の洞窟に啼いていたという。還らぬ母親をもとめていたものであろう。私達三人も暫時は心を潤したが、悲しくも冷たい現実に直面せざるを得ない。結論は決まっていた。この可愛い仔犬を食べることだ。その作業準備は私に課されていた。当然である。左手を失い (正しくは左腕を肩から吊り下げていた)、すべてを二人に頼り切っていて何もできない私が、すすんで背負うべき二人への義務であった。
 記憶は確かではない。明るい静かな海岸に二匹を連れ出し溺死させた。長い大腸がさらに長く静かく波間に伸びていた。鉄兜の鍋に仔犬の肋骨はあったが、飢えを満たすことはなかったのか、記憶には僅かに仔犬の匂いだけが残っている。悲しい出来事であった。
 数日後、食料探索に出た樋野五郎君は、忍び寄ってきた原住民の蛮刀に斬られて息が絶えた。白河千代太君は、熱病で発狂し、スコールの中を 「 嫌だ 嫌だよ 兵隊さんは嫌だよ 」 と絶叫しながら死んで往った。
 得難い戦友二人を亡くした私に明日はあるまい。それから数日、目覚めたのは原住民のカヌーの中だった。甲高い原住民の声と米兵の銃が私を囲んでいた。嗚呼!!
 それから六十年数年が過ぎた。故郷日本に帰り、老醜の身を晒しながら、何時の間にか馬齢八十歳を過ぎた。戦争は、戦後は、私には生きている限り終わらないであろう。故郷を望みながら南の島に果てた戦友の怨霊は私から離れることはない。男が生きるのに必要なものは、信頼できる数人の友人である。それが戦争から得た私の教訓である。
 福本チョコちゃんとの交誼も長い。始めは元気で布団の上を跳び廻っていたが、今はソファーに飛び上がるのも容易ではない。動くこともなく静かに居眠りばかりしている。わが福本チョコちゃんも私と同じく老いてきたのであろうか。
 老衰した私は急に立ち上がると眩暈がするようになった。そして六十数年前を想起する。ビアク島で私が溺死させたあの二匹の可愛い仔犬の事を。
 戦友の怨霊が私にとりついているように、あの二匹の仔犬の霊も私から離れないのだ。福本チョコちゃんはあの仔犬の再来であろう。そして私は独語する 。「 チョコちゃん、お互いに年をとったなあー、死ぬときもいっしょかなー・・・・これからもよろしく・・・・」。
 現在でもワンちゃんから学ぶ事は多い。あの世からのお迎えが明日であろうと、十年後であろうと、動ずることなく、ゆっくり落ち着いて、せめて一本のタバコを喫しながらこの世にサヨナラしたいものである。
                      (2008・10・16記)
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この前書きに記してあるようにHさんは二人の戦友の怨霊と戦争を背負って今まで生きてました。

戦後六十余年、未だに誰にも弔われずに孤島に眠っている戦友に遠慮し、思計り、「 自分の葬儀はいらない 」 と言ってました・・・

そして、今、彼の意思で、亡き戦友と同じように戒名もお経も無しで、彼らの元へ旅立ちました。

葬儀はHさんの意を汲んで、数人の親族による無宗教形式で執り行いました。

DSCN8079.JPG


やっと長い長い ハヤサカモトイさん シラカワチヨタさん ヒノゴロウさん の戦争が終わりました。

早坂さん、どうぞ楽になってください。

この後、わたしとおトしゃんは、ハヤサカさん、そしてシラカワさんヒノさんが懸命に生きていた思いを継いでいきます。

早坂さん ♪ たくさん たくさん ありがとうございました ♪ わたしとおトしゃんの最大の理解者で最高の親友で人生の師であり、そして戦友でした。

DSCF0264.JPG
(2003年4月)

サヨウナラ、早坂 基さん。
 
 
 
 
 

投稿者 choko : 2010年01月23日 16:20

コメント

ブログが終了される前にお亡くなりになってしまったのですね~。
4巻に書かれた前書きを読んで再び悲しみに暮れました。

”戦争は、戦後は私には生きている限り終わらないであろう・・・。”

誰が人にこんな苦しみを課す権利があるというのでしょうか?
オーストラリアでの捕虜生活がせめてもの救いですね。

どうかいい思い出だけをお供に旅立っていただきたいと節に思いながら、ご冥福をお祈りいたします。

きっと今頃はチョコちゃんに案内されながら天国へ向かっていることでしょう。

投稿者 キャンママ : 2010年01月28日 16:04

驚きました。オーストラリアでの体験を聞かせていただいた事
は貴重な機会でした。
そのような歴史があった事を、忘れないで(伝えて)いきたいと
思います。
心よりご冥福申し上げます。

投稿者 AtoZ作家 : 2010年01月25日 13:44

 早坂氏のご冥福をお祈りします。

投稿者 都市秘境作家 : 2010年01月24日 18:56

私の大好きな漢詩です。(井伏さんの訳が大好きです。)

中唐の詩人于武陵の「勧酒」(酒を勧む)
 勧君金屈卮
 満酌不須辞
 花発多風雨
 人生足別離

 君に勧む 金屈卮
 満酌 辞するを須いず
 花発けば 風雨多し
 人生 別離 足る

井伏鱒二の訳詩
 コノサカヅキヲ受ケテクレ
 ドウゾナミナミツガシテオクレ
 ハナニアラシノタトヘモアルゾ
 「サヨナラ」ダケガ人生ダ

はやさかさんのご冥福をお祈りいたします。

投稿者 name(eri) : 2010年01月23日 22:52

会うたびに賑やかだった早坂さん、さようなら
会うたびにやさしかった早坂さん、さようなら
会うたびに楽しかった早坂さん、さようなら
いま早坂さんの好きだったビールとウイスキーを飲んでいます。
何時になるかわかりませんが、何れみんなそっちに行きます。
そしたらまた一緒に遊びましょう!
それまでは、「さようなら」

投稿者 北方支部 : 2010年01月23日 21:42

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