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2012年07月02日

がったんごっとん大旅行④

 と云う訳で、田野畑村民俗資料館におじゃましました。
 わぁ~・・・、、一揆の小◯の旗やら、槍や鞍等々展示されてます。

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 そして、ありました!。入館者の通路の正面に、うやうやしく置いてあるのです♪
 わたしの勤務先だった㈱福本工業より15年前に出版された『幻の老人 切牛の万六 弘化四年南部盛岡領遠野強訴覚書』 の本が・・・


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 右側には、おトしゃんの田野畑村訪問の全てを手配してくださり、一揆研究家の大家で古文書解読の専門家の武田功さんが本文を書き、編集し、後書きを早坂さんが書いていた『岩手の民衆史』15巻も並んでます♪

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 ぁぁ、そして隣のお部屋には『早坂文庫』がありました♪
 本の背中には誇らしげに赤い分類ラベルが貼られてます♪


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 早坂さんが生前、一言一句でも一揆との関連性があれば見逃すまいと集め、読破し、勉強をしていた膨大な本が安住の地を得たのです♪

 おトしゃんにとって、なんと懐かしい光景でしょう・・・これらの本にはほとんど目をとおしました。と云うかチラチラ見ただけです。
 昔、早坂さんは本を入手したら、いつもおトしゃんにも読めと貸してくれたのです・・・
 しかし、おトしゃんは歴史等にもあまり興味がなかったので、大半はパラパラとかいつまんで見て早坂さんに話を合わしてました♪
 でも、表紙や背表紙は今でも憶えているのです。
 まだ、知識欲に燃えていた純真な頃だったのですね♪


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 なんと、写真の左下の北海道文学大辞典の左隣には『ワンワンの会社勤務全5巻』も並んでます♪あの本は、早坂さんの葬儀の事や瓶詰の作り方等は書いてありますが一揆の事は書いてません。でも、彼の蔵書を守る事がお役所で決まったのですから、これからは、他の重要な本と一緒に守られ、未来に伝えられるのです♪それ故、今後はあまり役にたたない本と世間様に揶揄される事はないのではないでしょうか♪


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 さらに、横の棚には『早坂資料』として、たくさんの資料が分類番号シールを貼って整理されているのです。


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 おトしゃんは、ここ早坂文庫の思い出深い本や資料に囲まれたとたんに、懐かしさで急に胸がしめつけられ苦しくなった・・・と言ってました。
 確かに、ここには、おトしゃんの若い頃からの人生も一部ですが、絡まっているのです。おトしゃんにとっては、40年ものの年月を、呑み友達で、碁仇で、人生の師で戦友であった彼が心血を注いだ対象の全てが有るのですから、心臓が苦しくなるのも致し方がないことです・・・
 
 でも、本当は懐かしさでなく、心臓周辺の血管が詰まってきているからなのではないのでしょうか?


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 驚いたことに、おトしゃんの名前が書いてあるファイルもありました???
 どんな資料が入っているのでしょうか?
 おトしゃん関連であればくだらない資料にきまってます。本人もその事は良く解っているようで、全く興味が無いようで中を見もしないで、アッチを向いてました。もしかしておトしゃんに都合の悪い資料でもあるのでしょうか?


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 更に隣の部屋では、38年前に購入した『日本庶民生活史料集成全巻』と対面しました。
 おトしゃんには書庫の中のこの全集がおトしゃんに微笑んでいるように感じたようです・・・
 当時、この全集を買うか?買うまいか?3日3晩も悩んだそうなので、愛着があるのでしょうね。 やはり38年前のおトしゃんの当時の心の有り様が本の背表紙を見て自分自身に甦ったのでしょうか♪
 本には、読まなくてもそんな力も有るのですね♪


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 こうした、膨大な書籍や資料を後世のヒト達が研究の参考にしやすいようにと、大震災で困難な時なのに、関係者の方々が分類整理して目録を作成してくれたのです。


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 図書目録には 資料名--ワンワンの会社勤務  著者名--福本チヨ とあります?
 わたしがチョコと云う名のワンワンだとは、解らないのはやはり当然な事なのでしょうねぇ~♪

(写真はマウスクリックで大きくなります)
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 資料目録には、ワンワンの会社勤務  福本チョコ作 と正しくありました♪
 そして、驚くことに3行下に『第2回三浦・青木賞選考会受賞パーテー』の資料も有るよ、と目録に載ってます?
 そういえば、あのパーテーに来ていたのでしょうか???
 思い出すと、早坂さんは物持ちの良いヒトでした。わたしがおトしゃんと遊びに行った時に食べ残した「ササミゴロゴロ缶詰」も、大切に保存してくれていて、翌週に行った時に出してくれたものでした・・・

(写真はマウスクリックで大きくなります)
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 この場所で、おトしゃんには早坂さんの本やら資料をゆっくり見てもしょうがないのです。なにせ40年間十分に見聞きしていたのですから・・・

 室内に居るより青い空の下が良いのです。
 せっかくだからと、今回お世話になりっぱなしの武田功氏と銅像の前で記念写真です。


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 Tさんは、早坂さんの大恩人なのです。
 おトしゃんも早坂さんを通じて35年前から、そして今回も、お世話になっているのです。
 当時、岩手県から遠き札幌で、たった一人でコツコツと三閉伊一揆の研究をしていた早坂さんに、指導し、研究の協力をしてくれ、『切牛の万六』出版の時も多大な力になって頂いたのです。
 今回の『早坂文庫』の件もTさんが最大の理解者であり、推進者であったのです♪

 今となっては叶わぬ事ですが、できたらあの像の前に、早坂氏が左側に立ち、Tさんが右側に座して棒を持った写真にしたかったです・・・あの一揆の指導者達の怨念を引き継ぐ二人の記念写真として・・・

 おトしゃんは、早坂氏の代理人と云うか、ただの野次馬なのですから。

 ところで、亡霊はどうしたのでしょうか? 
 ※次回に続く・・・



投稿者 choko : 2012年07月02日 16:30

コメント

タックンママさん。

 三閉伊一揆の時には、伊達藩が一揆側の話を聞き、南部藩と話し合ってくれたそうです。伊達藩にはひとかたならぬ恩義を感じていたことでしょう。
 今回、改めて関係者のお話を聞いて、早坂氏が三閉伊一揆研究に魅せられたのも、なんとなく解るような気がします。当時の一揆の面々にも、それを研究する面々にもヒトの生き方そのものの一例が見えたように思いました。

 

 

 

投稿者 チョコのおトしゃん : 2012年07月03日 11:13

A先生。

 岩手県内に住んでいた事も無い早坂氏の研究でしたが、ああして公共の財産として守られているのを目にし、関係者の優しさに感激しました。
 一揆の頃のいたわりの心が今でも伝わっているように感じます。
 彼が三浦・青木賞の資料まで大切に保存していたとはさすが歴史研究者ですね。
 きっと、彼の人生の中でとっても楽しかった、残しておきたい記憶の断片だったのだと思います♪

 

投稿者 チョコのおトしゃん : 2012年07月03日 10:58

半生をかけて研究された早坂さん
一昔前の男気を感じます。

我が祖先は伊達藩だったようです。
北海道の開拓の歴史も 涙無しでは語れませんが
現代まで続く人間の営みには 大きな試練があまりにも多く有りましたね。

早坂さんは彼の地の文庫の前で坐し おトしゃんの来訪を大いに喜ばれたのでしょうね。

投稿者 タックンママ : 2012年07月03日 06:39

「ワンワンの会社勤務」全5巻が早坂文庫に収まり、田野畑村の財産として登録されたとはすばらしいことです。それにしても早坂氏は物(資料)持ちの良い人だったのだと感心しています。第二回(2001年)三浦・青木賞の受賞パーティと早坂氏の接点がどこにあるのか調べてみると、出席者名簿に「菅原登山クラブ・早坂基」の記載がありました。「菅原登山クラブ」からは菅原会長を始め5名ほど出席の記録がありますから、多分福本工業からの紹介でしょう。福本工業からも福本さんを始め山本氏など4名が参加です。10年前にこんな事があったのだと、たまたま残っていた資料に目を通しています。私の方は資料を残すよりどんどん捨てていこうとしています。最後にディスク1台が残された、といった状況を目指しています。

投稿者 A : 2012年07月02日 20:07

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