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2006年03月28日

「発寒神社境内環状石垣之跡」

 発寒神社はJR函館本線沿いでJR発寒中央駅近くの発寒小学校と道路を挟んだ向かい側にある。この神社は札幌では由緒ある神社の一つではあるけれど、この場所に境内を構えていては秘境とはいい難い。しかし、この神社の境内には史蹟が集まっていて、そこに焦点を当てると、これらの史蹟が一般には気に留めてもらえないという意味で秘境の範疇に入るだろう、という理由付けで訪ねてみた。

 前記発寒小学校付近で石器や土器とともに環状石垣(ストーンサークル)が見つかっていて、表題の史蹟はその跡を伝えるものである。この環状石の後代の民族の墓も一緒になっていると言われている。環状石垣がどんな様子で見つかったのか写真も見ていないので説明はできない。この史蹟の碑は写真のように発寒神社の本殿の脇に建てられている。碑の付近に石垣の跡があったとしてもこの季節、雪の下で見ることはできない。

環状石碑A.jpg

 この碑の傍に、写真に示すように「発寒屯田兵移住百年記念」と「発寒移住記念碑」が建っている。似たような碑銘であるけれど、前者は明治9年(1876年)に32戸の屯田兵がこの地に入植したのを100年後に記念して建てたものである。後者は安政4年(1857年)に幕府旗本20人が発寒開拓の目的で移住したのを記念した碑である。

 開拓の歴史がそのまま札幌の歴史に重なっていて、札幌には北海道開拓に関する碑が多い。これらの碑は子孫やゆかりのある人達が建立している。碑の示す歳月が100年、多くても150年とかなので、札幌の歴史が本州のそれに比べて格段に浅いのを改めて気づくことになる。

発寒神社境内碑A.jpg

投稿者 esra : 2006年03月28日 01:43

コメント

札幌市内にもかつてはストーンサークルが数多く存在していたはずです。三角形の山と対を成していることが多いので、発寒のそれは三角山ではないかと。
ところで、北大植物園の中にもストーンサークルがあるのをご存知でしょうか?直径1m程度なのですが、説明板も何もないので「へ?」という感じでした。あとで調べてみたところ、同地にあったものを植物園を整備した時に、再現したとか。

まだあるのかな。10年くらい前の体験です。

投稿者 元ムー特派記者 : 2006年04月05日 21:43