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2006年11月06日

みな女地蔵

 著者がオフィスを構えている札幌市エレクトロニクスセンターには床屋がある。散髪中に札幌秘境が話題になり、理髪師の自宅の近くに幼子を弔った地蔵がある話をしてくれた。明治の年号が刻まれている古いものだそうである。地蔵のある場所が北広島市なので、札幌近郊の秘境候補に加えようと出向いてみる。

 場所は札幌市にあるJR上野幌駅から徒歩で五分程度北広島市に入ったところにある「森のゆ」の近くである。札幌秘境100選にJR上野幌駅を取り上げた時にこの「森のゆ」について少し書いている。「森のゆ」の露天風呂から正面に見える小高い林あたりにこの地蔵がある。この地蔵のある場所に車で行く砂利道もあって、砂利道を挟んで「北海道リハビリー」と名前についた施設の向かい側の山林に地蔵はある。

みな女地蔵道秋A.jpg

 砂利道から少し高くなっている山林に入ってみると、平らな場所があり、写真の小さな地蔵が紅葉の林の中に一個佇んでいる。標識や説明板のようなものも見当たらない。山林に取り残された野仏といったところである。傍によって地蔵の両側面に彫られた文字を読む。

みな女地蔵全景秋A.jpg

 写真に示す一方の側面には年号と日にちがあって、明治十八年(一八八五年)十二月十一日と読める。もう百二十年も昔に造られてここに置かれていることになる。もう片方の側面には、写真で示すように「みな女」の文字がある。この名前の女児が前述の日にちに亡くなって葬られ、そこに地蔵を建てたと推測できる。

みな女地蔵年代A.jpg

みな女地蔵名前A.jpg

 もともとこの辺りは開拓農民の墓地であったらしい。開拓者がこの地に入植した年代が刻まれた地蔵ということで歴史的価値もありそうなのだが、供養することもなくなって忘れられ、野仏となってひっそりと山林に立っている。この辺りは本来の意味に近い秘境の雰囲気である。

 北広島市の開拓の歴史を同市のHPで見ると、一八八四年(明治十七年)に広島県人二十五戸百三人が集団移住し開拓の鍬がおろされた、とあるのでこの地蔵が置かれたのは入植の翌年ということになり、この地蔵は広島市の開拓の歴史の始まりを示している貴重な存在である。それが説明板の一つもなく、誰に注目されることもなく、この山林にひっそりとあり、たまたまこの秘境の取材で顔を出している。

投稿者 esra : 2006年11月06日 05:52

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