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2006年10月12日

伊藤整文学碑

 この文学碑は見に行くつもりがあって碑の前に立った訳ではない。国道5号線を車で小樽から余市方面に走っていたら、塩谷のあたりで道路脇にこの文学碑の案内が目に留まった。すぐに車の方向を変えて、上り坂のわき道に入って少し進むと、この文学碑の前に出た。この文学碑と対面した状況はこのようなものであった。

伊藤整文学碑公園A.jpg

 碑は写真のように背の高いもので、高さは五mもある。上部に安山岩に「伊藤整文学碑」の大文字が刻まれ、下部に伊藤整の「海の捨児」からの文章が掘り込まれている。場所は小樽市塩谷二丁目、ゴロダの丘であると後で知る。前日から風が強かったせいもあり、ここからは白く波しぶきを上げる塩谷の海が眼前に広がって見える。

 この文学碑は市街地から離れていて、さてこの文学碑を目当てにここを訪れる人はどのくらい居るのだろうか。偶然にこの碑の場所に来て、辺りに車も人も見かけなかった。碑文にある「私は浪の音を守唄にして眠る 騒がしく 絶間なく」の波の音はすぐ下の国道を走る車の音に消されてしまっている。しかし、日高の海岸に近いところに住んだ経験のある著者には、浜に寄せては返す波の「騒がしく 絶間なく」の感じは分かる。

伊藤整文学碑A.jpg

伊藤整文学碑面A.jpg

 伊藤整は一九〇五年(明治三十八年)北海道松前郡白神村で生まれ、塩谷に移り住み庁立小樽中学校、小樽高等商学校と進んでいる。小樽高商の一年先輩には小林多喜二がいる。小樽を代表する二人の文学者が、重なって同じ学校の学生だったとは奇縁というべきか。なお、小林多喜二の文学碑は小樽市街の旭展望台にある。

 この世に知られた二人の文学者のせいか、小樽は文学者出身の街というイメージが強い。小樽は市や市民がこのイメージを補強しようとして、地方都市では珍しい「伊藤整文学賞」を設けている。活動の中心となる「伊藤整文学賞の会」の会長は小樽市長で、代表幹事は企業家で著者もよく知った方である。この企業家とはつい最近、小樽で夕食を一緒にして、小樽秘境100選の企画を話したけれど、そのときは伊藤整の文学碑を秘境対象にする考えは思いもつかなかった。

投稿者 esra : 2006年10月12日 08:39

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