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2006年06月26日

「札幌村郷土記念館」

 今は流れを見ることが出来ない「創成川」は、札幌開拓の基礎を築いた大友亀太郎が、豊平川からの水を導いて伏古川につなげた大友掘の途中の川として造られた。その由来から、創成川の岸辺には亀太郎の坐像が設置されていた。現在、この創成川の部分は地下歩道新設のため、それまで創成川沿いに置かれていた亀太郎の像をどこに移すかが問題になっている、との新聞報道があった。

 話は飛んで、東区北13条東16丁目に「玉葱記念碑」があるというので出かけてみる。この記念碑は「札幌村郷土記念館」の敷地内にある。同じ敷地内に武士姿の像がある。これが前述の大友亀太郎である。この記念館のある場所は、大友亀太郎役宅跡でまさに適所に像が移されたものである。亀太郎の時代にはここは札幌(元)村であって、現在も元町の名前で呼ばれる地域である。

大友亀太郎像A.jpg

 無料で入れる記念館の内部は、亀太郎に関する資料と札幌開拓時代の農機具、民具、生活用品などが展示されている。ご多分に漏れずこの種の記念館への来館者が居ないなか、1階と2階の秘境感のある陳列室を見て回る。昔なつかしい用具などに目を留めて、写真を撮る。帰りがけに受付の人に大友亀太郎やこの地で盛んであった玉葱栽培の話などを聞いて、札幌開拓の歴史部分にふれる。

 その話から推測するに、亀太郎は幕府から札幌開拓の仕事を頼まれ、順調に行けばこの記念館のあるあたりがその後の札幌市の中心になったのであろう。しかし、明治の新政府が出来て開拓使が置かれ、新しい体制の開拓が軌道に乗ると亀太郎の考えと相容れなくなって、亀太郎は北海道を去ることになる。1922年に市制が施行されて札幌市が誕生した時には、札幌市の中心はこの東区の亀太郎の役宅から現在の市庁舎付近に移っている。先人の夢が、遅れて来て権力のある方につぶされる例はよくあることである。

札幌村記念館1A.jpg

投稿者 esra : 2006年06月26日 06:07

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